2018年4月27日号。<山口達也さんは典型的な依存症。医師ならだれでもわかるはず。けれども、大人の都合なのかな>。

  • <TOKIO山口達也、涙の謝罪/酒で入院、退院当日に酩酊キス>
  • <南北首脳会談/プレスセンター始動/取材登録ら3000人>

 3時起床。
今日は朝鮮の南北首脳会談がある。そこにむけていささか、明日のここのためにも、勉強をしてから、報道に臨みたい。まっ、ホンネを言えば、朝鮮がどうなろうと、どうでもいいんだ…とならないのがきびしいところ。チャカぶっ放したり、因縁つてくるといって隣の家は、選べないからね。国ごと引っ越しできないし。だから、少し、早起きだ。

窓をあけて書いているのだが、ひとが作る音が少なく、鳥の声が多い。ひとびとが日常から去っていく、空気が感じられる。黄金週間は明日からなのだろうが、このあたり、外国人のみならず、外国人的な生き方をしているひとたちが多いので、休む時は、ちょっと前倒しにしても、きちんと自分の時間をとるということかも知れない。
もともと都内にしては緑が多く、空気もきれいなのだが、それも今朝はとりわけおいしい気がする。部屋の空気を汚すのは、これから私がお湯を注ぐカップ麺である。自業自得だからいいけれども、下の部屋からベランダ越しに、こんな美しい朝にかかる臭いが漂ってきたらいやだろうなあ。明日からしばらくこういう日常が続くのかな。飲食店がどのくらいサボ…もとい休むのかが不明確だ。そうなるとここは本当に外食難民になる。新宿か渋谷まで出なくてはいけないが、そういう場所は長期休暇の時は、逆に地方から出てきた子どもたちであふれ返っている。
渋谷に出る以上、そろそろボクシングを再開したい。とても前向きな気持ちになっていたのだ。そこでよりによって、肋骨を折ってしまった。ボクサーがいちばん折ってはいけないところで、まずは引退だ。ガードの上から打たれても危ないだろう。これは復帰はかなり先のことになるか、あるいは復帰できればいい方か。悲しい。
毎朝の腹筋は再開した。傾斜のある腹筋台を使うのだが、ギシギシと肋骨が音をたてる。痛い。「ひねり」を入れるのはやめている。無理だ。まっすぐに身体をおこすのだと、そう肋骨に負荷はかからないのだろうと。この日記と同じで、ずっと継続してきたことをやめるのは、とんでもなく私には苦痛なのである。カタチだけでも、再開したい。とはいえ、この文章も字数を減らしたことはほぼなく(通信状況などのいたしかたない時をのぞくと)やる以上は、完璧を続けたい。というわけで、今朝から、ギシギシ。いてて。

 いてて、いててと呟きながら夕方、外に出る。家の食糧が尽きてしまったし、やはり重いものはできれば持ちたくないし。ふと「コロコロ」を使おうかとも考えた。海外ではよく利用するし、もともとかばんマニアなのでいくつもある。これだとワインの5本や10本入れても(をいをい)と考えたが、やめた。最近、日常でこのコロコロを使っている日本人が多い。昔は外国人、そのあとは浮浪者だった。堅気が昼間から使っている。
若いキャリア女性みたいなのが、真っ昼間の丸の内や霞が関であれを引っ張っているのには、どうも違和感があって。颯爽と仕事道具は脇に抱えているのがいいというのは私の先入観だろうか。だが先進国でのキャリア女性たちはそうだった。荷物を選択して持つのも能力のうちだ、私たちはそこも見て、評価に加えているよ、とあるプレジデントに言われたことがある。
ダメなヒトほど「不安だから何でも持ってあるく」のであって、これはまさに私だ。マネジャーのT-1君に「そのカバン、何が入っているんですか」とよく言われる。接続が命で、バックアップは必ずしなくてはいけない。そうでないと、ここまで途切れずにお送りすることはできない。地球上のいかなる場所からもだ。とはいえ、ダメなヒトだから何もかも持っているのは子どものころからで、ひとつのビョーキだと思う。
選択ができないのだ。人生においても、たとえはおね~ちゃんにしても。一方でする時は「えいやっ」とやらかして、周囲はまったく理由もわからなく驚愕する。理由など、私にもわからない。ただ勢いとその場の感情でやるだけだ。間の「思考」がまったくぬけているのはADHDにありがちなものらしい。『思いつきだよ人生は』。恒例。どこかこのタイトルで本を出しませんか(切ない)。
「コロコロで酒を仕入れてくると、さすがに終わりかなあ」と、ふと目覚める。これが私の美点である。とりあえず、酒を買うことは忘れて、呑むことにする。また、夕刊フジ買って白木屋かあ。輝ける黄金週間にみんなが心踊らせている時に、いいよなあ。あっ、白木屋なら、連休中もあいているかも知れないぞ…などと考えつつ歩いていて、ふと、ほぼ向かい側の地下鉄の入り口の店を思い出した。「黒うさぎ」という。
https://tabelog.com/tokyo/A1308/A130803/13000428/
昔はよく行った。店長が「2年ぶりくらいじゃないですかね」と。リンク先も含めて、これは店のアピールが良くないのか、沖縄料理とあるが、決してそうではない。むしろ奄美料理だ。この違いはきわめて大きい。奄美料理を食べさせる店はあまりないので、よければ試してみて下さい。なぜあれを沖縄料理と言うのかわからない。奄美のひとたちのプライドを傷つけるのではないか。
私のスルどい目は(笑)厨房の入り口であったか、ボロボロに汚れた絵のレプリカが掲げられているのを見た。ひとめでわかる。田中一村画伯である。
http://amamipark.com/isson/
世界のタナカの絵をおいておいて、沖縄料理はないだろう、だが奄美を知らない客を呼び込むには、沖縄と言った方が通りがいいのだろう。沖縄料理もある。これもおいしいと、店のために言い添えておく。やがて、店はほぼ満席となったが、このひとたちのどれほどが、奄美の戦後を知っているか。沖縄の返還はぼんやりと記憶にあっても、奄美のそれは「まじい?」ではないか。ましてや、一村のことなど。民族の底力は記憶の伝承である。国土の継承も、ひとつの島までどれだて民族が愛しているかだ。いずれも、今の日本国ではおぼつかない。永田町や霞が関でわあわあやっているよりも、大切なことがある。

 芸能記者たちはそうだし、まあ、本質からいってそれはありかなと思うのは、医者もコメンテイターとして呼ばれていた。けれども、この「事件」について、日本国でもっともリアルなコメントができるのは私であろう。なぜなら、私は「アルコール依存症」であったからだ。早く言えばアル中。「アル中だったからね、よくわかるんだ」と言っていい?と聞くと、親しいワイドショウのひとたちもどん引きするだろう。「元極道で足洗いました」という方はよく出ておられるが。なぜアル中はダメか。テレビで流れる酒造メーカーのCMの頻度をみれば、わかるでしょう。
いえいえ、日本酒業界で食べさせていただき、サントリーさんなどにもお世話になっている私でございます。酒が悪いどころか、酒こそが人生を楽しくする。作っているひとも、広告広報しているひとも、私はみんな好きだ。
<TOKIO山口達也、涙の謝罪/酒で入院、退院当日に酩酊キス>
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20180427-OHT1T50063.html
女子高校生に無理やりキスをしたとして強制わいせつの疑いで書類送検されていたTOKIO山口達也(46)が26日、都内で謝罪会見を行った。1月からアルコールの過剰摂取による肝機能悪化で入院し、退院した当日の2月12日に酩酊(めいてい)状態でわいせつ行為を働いていたと説明。>
肝機能障害もあったかも知れないが、明らかにアルコール中毒の「断酒」のための入院だと私は考える。アル中について、大マスコミはよくわかっていない。「酔って暴れる」などというのは酒乱の段階だ。そこから先は、あらゆる方法でアルコールを摂取しようとする。たとえは、酒を絶たせようと、山口達也さんのように周囲が入院させると、なんとか酒を手に入れようとする。病院の売店などには手がまわっていて「ダメですよ」と言われる。
最近はコンビニが増えたのでどうなのかわからないが、私が知っていた時期に、アル中患者がもっとも行っていたのは墓地であった。お墓の前に備えられているワンカップをあけて呑むのだ。中毒というのは、それほどに怖い。シャブ中もアル中も同じであって、つかまるかつかまらないかだ。
山口さんも、そのレベルになっていたから、入院をさせられたのではないか。アル中のひとつの基準に「仕事に支障をきたす」というものがある。事務所としては、ここが切所と見たのだろう。さすがはジャニーズ、その判断そのものは間違っていない。ただし。退院してきて、すぐに野放しにしたのは大失敗だ。海外などでは、薬物治療の施設から出てきたあと、家族や親族、地域のひとたちと軟着陸をする空気がある。家へかえして、そこに酒があれば、沙漠が水を吸い込むように呑むでしょう。電話もするでしょう。
やってしまったことは償うしかないが、いささかの配慮がなかったのが残念だ。女子高生がそんな時刻に呼ばれて男の部屋に行くかよ、とは言わない。そんなものだからだ。そんなもののサファリパークで怪我をせずにいきていくのが、顔の知られたひとびとの「技術」なのである。ちなみに今回の報道で、以前にここで揶揄したように「メンバー」という呼称がついていたので、今日はまたからかってやろうと思っていたら、日本テレビが「メンバー」という理由についてゴタゴタと言い訳をしていた。少しは私の拙文の影響があったのかな。

 今日の日記に間に合わないのが残念。明日にここで書いてみるおわらい朝鮮半島、お楽しみに。それにしても「事大主義」のひとたちだ。もともと「事大主義」は「強いものにつく」で朝鮮民族の宿痾なのだが、今回は国際社会そのものが「強いもの」。極東のたかが半島のショボいふたつの国が世界中から注目されているので、大はしゃぎだ。ここには南も北もない。「見て、見て、私たちを見て」で、こうなる。
<南北首脳会談/プレスセンター始動/取材登録ら3000人>
https://mainichi.jp/articles/20180427/k00/00m/030/060000c
<南北首脳会談を翌日に控えた26日、韓国側では、ソウル近郊のコンベンションセンター内に設置されたプレスセンターが本格始動した。ソウルでも首脳会談を生中継する大型スクリーンが設置されるなど、各地で歴史的な会談を迎える準備が進んだ。
韓国の南北首脳会談準備委員会によると、プレスセンターには韓国だけでなく、世界36カ国のメディアの記者ら約3000人が取材登録。2000年と07年の首脳会談と比べて2倍以上の規模となっている。>
行ってみてもよかったかな。取材するとなると、このメディアの馬鹿騒ぎである。プレスセンターなどどうでもいい。夜だ。風俗ライターとしては夜の巷を徘徊して、コーランから解放されたアブラ虫…もといアラブの貴族の方々がどんなに羽をのばしておられるのかが楽しみだ。合間に、立派な日本国の記者の方々もひっかかってきたりして。
予言しておこう。もし、会談がうまくいったら、朝鮮半島は金のなる木として、おまつり騒ぎになる。北朝鮮は外貨がほしいので、どんどん海外のプレスを入れる。板門店を通過しての取材など、目玉だろう。はるか昔に平壌から板門店に行った私としては、いまの騒ぎにいささか苦笑せざるを得ない。拙著の中の、あのころの旅などを読んでいただくと、今回の騒ぎがいっそう面白くなるかと。書いておいてよかったと思うのはこういう時である。作家は時に、地雷を仕掛ける。