2007年1月27日号。<何度でも再チャレンジできるだらしない社会なんて嫌だ>。

 2007年1月27日号。<何度でも再チャレンジできるだらしない社会なんて嫌だ>。  5時半起床。大阪。  私は「優しい」という言葉が嫌いだ。  いや、本来の、人に対して惻隠の情を見せるという「優しい」ならいい。そうではなく、いいかげんなもの、だらしないものを見逃すということに、今のこの国の「優しい」は使われているからだ。ものごとのエッジを取り去り、おたがいに愚民がもたれ合うキーワードと化しているからだ。  「環境に優しい」という使い方も大嫌いである。「環境を悪化させないように配慮した」でいいではないか。なんでもかんでも「優しい」という冠詞をつければ語感が丸くなるにような気持ち悪さは、頭の悪い自治体がすぐに「夢」とつけたがるのに通じている。それも「ゆめ」と平仮名でね(嘲)。  風船総理の頭の中がからっぽなのは知っていたが、施政方針演説の中に「優しい」という文字を見て、やはりと思った。  演

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